その後、我家への立ち退きの話は、こじれに、こじれて、長年にわたって土地の紛争が続いていくことになっていく。本来、区の境となる道の上に、家を建てたこと自体が間違いの元である。これは見つけたら即刻、役場からその元旅館に対して、「立ち退き」か、「解体命令」を出すべき問題である。
万一の、厳しい措置を警戒してか、いつ役場からの立ち退き命令があっても、言い逃れが出来るようにと、区の境の道を隔てて存在する、福井区の方の土地を無理やり買い取ることになった。家が建って狭くて通りにくくなった道を、横にズラして通れるように、何とか解体せずに済むことを考えたようだ。
本来、いかなる理由があっても、区の境の基準となる道を勝手に変えてしまうことは、後で隣の住民達に測量時に色々と問題が出てきて、迷惑をかける恐れがあり、やってはならない事である。
家を建て直す時まで、(一時的に道の幅の分をズラして空けておく)というキチンとした書類があればいいとして、そのズラした分は買った土地からは差し引いて、キチンと測量すべきである。だが、その出た分を全く考慮入れないで、意図的に、旅館の屋根から、道の幅の分と、買った土地の分を、確保して、自分達だけで勝手に測らせていった為に、近隣の福井区の土地が、ズレた測量の分だけ、そのシワ寄せが起きて、狭くなっていった。
本来の区の境の道を基準にして測るべきことをしなかった為に、周りの家の土地が理不尽に削られてしまうことになった。道の基準が歪められ、身勝手な人間の測量によって、隣人たちの土地を略奪していく結果になった。
本来、測量は隣近所の家の人たちの立会いの元に、公正に測量をすべきなのに、父や母が居ない時に、年寄りの、何も判らない祖母のゼンを呼びつけて、無理やり不法な測量の場に、立ち会わせたという形にした。
悪い隣人の策略により、測量士達は言われた通りに、完全に間違った境界の線を決めていった。その悪どいやり方の影響が今も残っている。「奪ったものは絶対に返さない!」と言わんばかりに、我家のブロック塀にピッタリと寄せて小屋を増築している。そのおかげで、屋根の雨が流れ込んでくる。
裏の家の横暴なやり方から、色んなシワ寄せや歪みが生じてくる。今でも隣接して建てた小屋から漂ってくる湿気。大雨が降る度に屋根から雨水が勢いよく流れ込み、トイから雨水が溢れ出し、ブロックを濡らし、湿気が小屋に滲み込んでくる。敷地を奪われた上に、裏の小屋の湿気の災難の為に、トラブルが起こり、一年中、湿気とカビに悩まされている。
倒壊危険の原因の、雨水による被害は、三つの方向から攻めて来ている。
雨どいを付けず我家に隣接して建てた両隣の小屋の屋根の影響である。
両隣の建てた昔の倉庫。吉村邸、それから立藤邸の小屋について説明。
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